このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動
  • くらし
  • 市政
  • 子育て・教育
  • 学ぶ・楽しむ
  • 福祉・健康
  • 施設案内
  • 事業者の方へ
サイトメニューここまで
本文ここから

駒つなぎの松

更新:2011年3月1日

画:駒つなぎの松

 毎年、お正月と4月そして9月の例祭(お祭りのこと)には、たいそうにぎわう入間川の八幡神社は、古い歴史とたくさんの伝説を持っています。
 八幡神社は、源氏の守り神で新田(にった)の八幡宮と呼ばれていた時代もあったそうです。 この神社の社宝(神社の大切な宝物のこと)としては、本殿の彫刻が有名です。この彫刻は江戸時代後期の享和2年(1802)に作られたものといわれています。そして、もう一つの社宝には「さはりのつぼ」があり、これは埼玉県の文化財に指定されています。
 また、本殿の東側には古い松の木があります。これは「新田義貞(にったよしさだ)駒つなぎの松」として有名です。
 今から700年ほど前の元弘3年(1333)5月、鎌倉の北条高時(ほうじょうたかとき)を討つために挙兵(兵隊を集めて戦争をはじめること)した新田義貞は、5月10日ごろに所沢の小手指ケ原で北条軍と戦いました。そのとき、新田軍は入間川の徳林寺(とくりんじ)を仮の宿と定め、源氏ゆかりの八幡宮へ自ら進んで戦勝を祈願(神さまにお願いすること)しました。そのときに愛馬をつないだのが、この松の木だったそうです。そして新田軍は、久米川(くめがわ)分倍河原(ぶはいがわら)(いくさ)をつづけ、5月16日には稲村ヶ崎から鎌倉へとせめ入りました。こうして北条氏は、政権(国を治める力のこと)をあけわたし、「建武(けんむ)中興(ちゅうこう)(後醍醐天皇のもとで行われた天皇政治の復興のこと)となりました。義貞32歳のときのことだそうです。
 また、この八幡神社には、こんな言い伝えも残っています。所沢の北野天神さまで雨がふっているときには、入間川の八幡さまでは必ず晴れて、よいお天気になったそうです。

問い合わせ

総合政策部 広報課 組織詳細へ
狭山市入間川1丁目23番5号
電話:04-2953-1111
FAX:04-2954-6262

問い合わせフォームメールへ(新規ウィンドウを開きます)

この情報は役に立ちましたか?

サブナビゲーションをとばしてフッターへ
ページTOPへ
 
以下フッターです。