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今宿遺跡

更新:2011年3月1日

今宿遺跡

上広瀬にある今宿(いまじゅく)遺跡は、奈良・平安時代の集落跡です。この遺跡が発掘調査されたのは昭和44年(1969)4月で、大規模宅地造成に伴うものでした。発掘面積は約78,000平方メートルで、そこから48軒の竪穴住居跡が見つかり、3軒が保存(うち1軒は復元)されています。
発掘された住居跡は正方形かそれに近いもので、地面を掘り下げて床とし、その周囲には溝を掘って板を埋めて壁としました。(かまど)は住居の北側または東側の壁に築かれ、煙り出しの煙道(えんどう)は住居外に設けてあります。
住居の大きさは縦横とも4メートル前後が多く、なかには7メートルを超えるものもありました。住居が築かれた年代は、8世紀台がもっとも多くて25軒、8~9世紀にかけてが1軒、9世紀台が11軒、10世紀台が2軒、不明が9軒です。
出土品は土器がもっとも多く、このほかに鉄製品・銅製品、炭化したコメ・ヒエがあります。土器は土師器(はじき)須恵器(すえき)が主体を占めていますが、なかには灰釉(かいゆう)陶器・緑釉(りょくゆう)陶器といった釉薬(うわぐすり)のかかったものもあります。
土師器は弥生時代以来の製法による素焼きの土器で、保水性はありませんが熱をよく通し、(かめ)(こしき)(つき)などの器形があります。甕は煮炊き用に竈にかけて使用されたものですが、厚さが1~2ミリと薄いため破損した状態で出土することが多く、もとの形に復元するのは極めてむずかしい土器です。甑は蒸し器として使われたもので、水を入れた甕の上に載せて穀類を蒸しました。坏は盛りつけ用の器で、現在のご飯茶碗に相当します。
須恵器は大陸から古墳時代に伝わった土器で、轆轤(ろくろ)を使って形を整えたのち、登窯(のぼりがま)を使って高温で焼いたものです。はじめは古墳の副葬品として利用されましたが、奈良・平安時代になると実用品として広く普及しました。保水性に優れているため、水などの液体を貯蔵するために使われましたが、その後しだいに他の用途にも用いられるようになり、やがて土師器は姿を消しました。器形には甕・坏・高坏(たかつき)(つぼ)(へい)(はち)(ふた)・皿などがありますが、このなかでは坏がもっとも多く、煮汁の跡が残った鉢も見つかっています。
灰釉陶器は植物灰を釉薬として使ったもので、やはり登窯で焼きました。釉薬の溶ける温度が高温のため、須恵器より硬い器です。緑釉陶器は鉛を釉薬に使ったもので、全体が緑色をしています。この釉薬は灰釉に比べて低温で溶けるため、やや軟質ですが、その色合いから貴重品として扱われたと考えられています。鉄製品は(すき)・鎌といった農具や、刀子(とうす)という小刀、矢の先端に取りつけた(やじり)などが出土しています。また銅製品は、(かんざし)が見つかっています。

  • 狭山市指定文化財〔記念物・史跡〕
  • 指定日:昭和51年(1976)年4月1日

場所

所在地

狭山市広瀬台1丁目22番

問い合わせ

生涯学習部 社会教育課 組織詳細へ
狭山市入間川1丁目23番5号
電話:04-2953-1111
FAX:04-2954-8671

問い合わせフォームメールへ(新規ウィンドウを開きます)

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