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平成17年7月17日に放映されたNHK大河ドラマ「義経」の中で
狭山市の史跡などが紹介されました。 |
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| 影隠地蔵 狭山市指定文化財、昭和52年(1977)9月1日指定、記念物・史跡 |
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影隠(かげかくし)地蔵は、源義仲の子の清水冠者義高(かじゃよしたか)が、源頼朝の放った追手から難を避けるため、地蔵の背後に姿を隠したところから名づけられたもので、現在は柏原側に立っていますが、かつては広瀬側にあった地蔵堂の中に安置されていました。
鎌倉幕府の公式記録とでもいうべき『吾妻鏡』によれば、義高は元暦元年(1184)4月に「入間河原」で討たれています。頼朝が義高を殺害したのは、義仲が後白河法皇に背いたためで、その詳細は「清水八幡」の項をご参照ください。
ところで影隠地蔵の話は、江戸時代後期に編さんされた『新編武蔵風土記稿』にも載っているので、かなり昔から語り伝えられていたことがわかります。「入間河原」で討たれたはずの義高が、対岸まで逃げ延びて地蔵の後ろに姿を隠したというのは、若くして非業の死を遂げた義高を哀れむ里人により創作されたものと考えられます。 |
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| 清水八幡 狭山市指定文化財、昭和52年(1977)9月1日指定、記念物・史跡 |
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清水八幡は、清水冠者義高(かじゃよしたか)を祭神とする神社で、狭山市指定文化財になっています。
ここに義高を祀(まつ)る神社があるのは、元暦元年(1184)4月に源頼朝の放った追手により「入間河原」で討たれた義高を哀れんだ里人が、その遺骸を埋めて墓を築いたためです。
義高は源義仲(頼朝とは従兄弟)の嫡男で、その後、頼朝の娘である大姫(おおひめ)の婿となった人物です。頼朝が娘婿を殺害したのは義仲が後白河法皇に背いたためで、朝敵(ちょうてき)の子をそのまま放置できなかったためと考えられています。
同社の創建年月は不明ですが、頼朝の妻の政子が関与したとの伝承が残っています。それは、政子が壮麗な社殿を造営して神田(しんでん)まで寄進したというもので、応永9年(1402)8月の大洪水ですべてが流失してしまうまで、隆盛を誇ったといわれています。
現在の本殿は昭和34年(1959)10月の建立で、この中には永享2年(1430)銘の石祠が祀られています。 |
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【全体図】 |
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