狭山の水の生活史

このページの情報をツイッターでシェアします

このページの情報をフェイスブックでシェアします

このページの情報をラインでシェアします

更新日:2011年3月1日

入間川によって造られた河岸段丘からの湧き水を求めて、8千年位前から人々が住み始めました。
入間川の両岸からは、その頃の遺跡が数多く発見されています。

水の乏しい台地の住人や街道を行く旅人の飲み水のために掘られた、すり鉢型の井戸「七曲井」。当時の技術では真っ直ぐに堀り下げることができなかったので、地面をすり鉢状に掘り下げて斜面にらせん状の道をつくり、その底に井戸わくをつけています。
人々は頭に手桶をのせて下り、ひしゃくで水をくんだ、という記録が残っています。
井戸を掘るには家一軒分くらいのお金が必要だったため、隣り近所共同で井戸を掘って使っていました。
また、井戸さらいなどのためにも労力は必要でした。

昭和29年、市制直後に伝染病が発生。
つるべ井戸では衛生的に問題があるため、簡易水道が設置されました。
昭和33年に厚生省から水道事業の認可を得て、米軍ジョンソン基地より分水を受けたのが、狭山市水道事業のはじまりです。
やがて、入間郡武蔵町(現在の入間市)からも分水を受けるようになります。

現在では、総配水量の約95パーセントが県水で、残りの約5パーセントが自己水(入間川の伏流水と深井戸)となっています。
また、上水道の普及率は約99.9パーセントです。
何気なく蛇口をひねれば飲める水も、限られた資源です。
一人一人が節水を心がけ、それを積み重ねることが深刻な水不足を解消することになるのです。
「水のある暮らしは当たり前」でなく「水は欠かすことのできないもの」と意識して、日ごろから水の有効利用を心がけ節水にご協力ください。
また、私たちが使った水の汚れを減らすことが川や海をきれいにする第一歩です。
一人一人が水を汚さない工夫をして、限りある資源を大切にしましょう。

このページに関するお問い合わせは
上下水道部 経営課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2968-6264

FAX:04-2954-6262

この情報は役に立ちましたか?

お寄せいただいた評価はサイト運営の参考といたします。