八幡さまと駒つなぎの松

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更新日:2020年11月17日

画:駒つなぎの松

毎年(まいとし)、お正月(しょうがつ)四月(しがつ)、そして九月(くがつ)のおまつりに、たいそうにぎわう入間川(いるまがわ)八幡神社(はちまんじんじゃ)には、(ふる)歴史(れきし)とたくさんの伝説(でんせつ)があります。
八幡神社(はちまんじんじゃ)は、源氏(げんじ)のまもり(がみ)で、新田(にった)八幡宮(はちまんぐう)とよばれていた時代(じだい)もあったそうです。
この神社(じんじゃ)には、たくさんの社宝(しゃほう)神社(じんじゃ)宝物(たからもの)のこと)があります。そのおもなものをしょうかいすると、まず第一(だいいち)に『さはりのつぼ』という金属製(きんぞくせい)(ふる)いつぼがあります。これは、埼玉県(さいたまけん)文化財(ぶんかざい)指定(してい)されています。
(つぎ)に、江戸時代(えどじだい)(すえ)につくられた本殿(ほんでん)彫刻(ちょうこく)有名(ゆうめい)です。
さらに、本殿(ほんでん)東側(ひがしがわ)には『新田義貞(にったよしさだ)(こま)つなぎの(まつ)』という(ふる)(まつ)()があります。そして、この(まつ)()にはこういうおはなしが(つた)わっています。
元弘(げんこう)三年(さんねん)一三三三(せんさんびゃくさんじゅうさん)(ねん))の五月(ごがつ)鎌倉(かまくら)北条高時(ほうじょうたかとき)()つべく挙兵(きょへい)兵隊(へいたい)(あつ)めて戦争(せんそう)をはじめること)した新田義貞(にったよしさだ)は、五月十日(ごがつとおか)ごろに所沢(ところざわ)小手指ケ原(こてさしがはら)北条軍(ほうじょうぐん)との(たたか)いを(まじ)えました。
その(とき)新田義貞(にったよしさだ)入間川(いるまがわ)徳林寺(とくりんじ)()まり、自分(じぶん)から(すす)んで源氏(げんじ)ゆかりの八幡神社(はちまんじんじゃ)戦勝(せんしょう)戦争(せんそう)()つこと)の祈願(きがん)(かみ)さまにお(ねが)いすること)にいきました。
そのおりに新田義貞(にったよしさだ)自分(じぶん)愛馬(あいば)をつないだのが、この(まつ)()でした。
そして新田軍(にったぐん)は、久米川(くめがわ)関戸(せきど)(いくさ)をつづけ、五月十六日(ごがつじゅうろくにち)には稲村ケ崎(いなむらがさき)から鎌倉(かまくら)へせめ()り、北条氏(ほうじょうし)は、百四十年(ひゃくよんじゅうねん)政権(せいけん)(くに)(おさ)める(ちから)のこと)をあけわたし『建武(けんむ)中興(ちゅうこう)』(後醍醐天皇(ごだいごてんのう)のもとでおこなわれた天皇政治(てんのうせいじ)復活(ふっかつ)のこと)となりました。新田義貞(にったよしさだ)三十二歳(さんじゅうにさい)(とき)のことです。
また、入間川(いるまがわ)八幡神社(はちまんじんじゃ)には、こういういい(つた)えものこっています。所沢(ところざわ)北野(きたの)天神(てんじん)さまで(あめ)がふっている(とき)には、入間川(いるまがわ)八幡(はちまん)さまは、かならず()れて、よいお天気(てんき)になっていたそうです。

このページに関するお問い合わせは
企画財政部 広報課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2935-3765

FAX:04-2954-6262

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