毎年、お正月と四月、そして九月のおまつりに、たいそうにぎわう入間川の八幡神社には、古い歴史とたくさんの伝説があります。
八幡神社は、源氏のまもり神で、新田の八幡宮とよばれていた時代もあったそうです。
この神社には、たくさんの社宝(神社の宝物のこと)があります。そのおもなものをしょうかいすると、まず第一に『さはりのつぼ』という金属製の古いつぼがあります。これは、埼玉県の文化財に指定されています。
次に、江戸時代の末につくられた本殿の彫刻が有名です。
さらに、本殿の東側には『新田義貞駒つなぎの松』という古い松の木があります。そして、この松の木にはこういうおはなしが伝わっています。
元弘三年(一三三三年)の五月、鎌倉の北条高時を討つべく挙兵(兵隊を集めて戦争をはじめること)した新田義貞は、五月十日ごろに所沢の小手指ケ原で北条軍との戦いを交えました。
その時、新田義貞は入間川の徳林寺に泊まり、自分から進んで源氏ゆかりの八幡神社へ戦勝(戦争に勝つこと)の祈願(神さまにお願いすること)にいきました。
そのおりに新田義貞が自分の愛馬をつないだのが、この松の木でした。
そして新田軍は、久米川、関戸と戦をつづけ、五月十六日には稲村ケ崎から鎌倉へせめ入り、北条氏は、百四十年の政権(国を治める力のこと)をあけわたし『建武の中興』(後醍醐天皇のもとでおこなわれた天皇政治の復活のこと)となりました。新田義貞が三十二歳の時のことです。
また、入間川の八幡神社には、こういういい伝えものこっています。所沢の北野の天神さまで雨がふっている時には、入間川の八幡さまは、かならず晴れて、よいお天気になっていたそうです。
左の株が駒つなぎの松
駒つなぎの松上がり口
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