鷹狩りと御詞の梅

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更新日:2011年3月1日

画:鷹狩りと御詞の梅

 下奥富(しもおくとみ)広福寺(こうふくじ)は、龍宮城のような山門があることで有名です。
 山門は二階建てで、一階の袴腰(はかまごし)漆喰(しっくい)白壁ぬりで、二階が鐘楼(しょうろう)になっており市指定の文化財の建造物です。
 その山門をくぐると、すぐのところに井戸と梅の木がありますが、伝説によりますと、むかし、徳川三代将軍家光(いえみつ)公が武蔵野で鷹狩りをしたときに、広福寺におたちよりになったそうです。そのとき、井戸の水でわかしたお茶を召しあがりながら、梅の花の美しさをたいへんにほめられたそうです。その後、ゆかりの井戸のことを「梅の井」といい、梅の木のことを「御詞(おことば)の梅」と呼び、寺では代々大切にしています。
 また、広福寺には、幕末の勤王(きんのう)の志士である川越出身の西川錬造(にしかわれんぞう)清河八郎(きよかわはちろう)らが、ひそかに会合したといわれる屋根うら部屋もあったそうです。
 そして、弥次さん喜多さんでお馴染(なじ)みの「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」の作者である十辺舎一九(じっぺんしゃいっく)も、その珍しさをめでたといわれております。

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