令和5年度「埼玉県荻野吟子賞」大賞を狭山市在住の方が受賞!

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更新日:2024年2月16日

埼玉県では、埼玉県出身で日本で最初の公認女性医師となった荻野吟子にちなみ、その不屈の精神を今に伝える先駆的な活動をし、男女共同参画の推進に顕著な功績があった個人や団体、事業所を「埼玉県荻野吟子賞」として表彰しています。

令和5年度「埼玉県荻野吟子賞」受賞

大賞(個人・団体部門)

佐藤 咲子(さとう さくこ)氏
(一社)犯罪被害者等支援の会オリーブ代表理事
少女時代に御両親を殺害された経験を踏まえ、平成26年に「犯罪被害者支援会オリーブ」を設立(令和4年に一般社団法人化)。学習会や講演会活動、教材作成等を通じ、多くの市民に犯罪被害者支援の必要性を訴えている。
狭山市犯罪被害者支援条例の制定や埼玉県犯罪被害者支援条例に基づく指針の策定にも貢献した。
犯罪被害者支援を通じて男女共同参画社会の基盤である、男女の人権を尊重した活動に積極的に取り組んでいる。(狭山市在住)

荻野吟子について

荻野吟子は江戸時代末期の嘉永4年(1851年)、現在の熊谷市俵瀬に生まれました。18歳で結婚しましたが、不慮の病に罹り2年ほどで離婚しました。この時、婦人科の治療を受けたことから、女性医師の必要性を痛感し、医師となることを決意しました。
しかし、当時は女性には医術開業試験の受験が認めておらず、制度改正に奔走しました。
その際、「令義解(りょうのぎげ)」という古文書に女医の記述があることを訴えたと言われています。
この「令義解」を校訂し、後世に引き継いだのが、埼玉県の偉人「塙保己一(はなわほきいち)」でした。
こうして吟子は様々な困難を克服し、明治18年(1885年)、医術開業試験に合格、日本で最初の公認女性医師となりました。
開業後は、診療活動に加え、婦人解放運動等の社会的活動も担い、女性の地位向上や衛生知識の普及にも大きく貢献しました。
大正2年(1913年)、62歳で永眠し、栄光と波乱に満ちた生涯を閉じました。

(出典:埼玉県公式ホームページ「荻野吟子について」より引用)


埼玉県荻野吟子賞の概要

・「大賞(個人・団体部門)」
 県内に在住・在勤・在学若しくは埼玉県出身又は県内に所在し、先駆的な取組などにより各分野で特に功績が著しい個人又は団体
・「奨励賞(個人・団体部門)」
 県内に在住・在勤・在学若しくは埼玉県出身又は県内に所在し、各分野にチャレンジし、今後さらなる活躍が期待できる個人又は団体
・「いきいき職場部門賞(いきいき職場部門)」
県内に所在し、男女が共同して参画することができる職場づくりに積極的に取り組んでいる事業所
【選考方法】埼玉県荻野吟子賞選考委員会での審査を経て、埼玉県知事が決定
【選考委員会】神尾真知子座長(日本大学法学部特任教授)ほか7名

他の受賞者については、埼玉県ホームページにおいて紹介しています。

令和5年度埼玉県荻野吟子賞受賞者集合写真

埼玉県公式ホームページ「埼玉県荻野吟子賞について」

このページに関するお問い合わせは
市民部 男女共同参画センター

狭山市入間川1丁目3番1号(市民交流センター2階)

電話:04-2937-3617

FAX:04-2937-3616

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