北入曽のとしとらず川

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更新日:2021年3月29日

画:不老川伝説

むかしむかしのおはなしです。北入曽(きたいりそ)(なが)れている不老川(としとらずがわ)は、大変(たいへん)な『あばれ(がわ)』でした。
この(かわ)はふしぎなことに、どんなに()でりが(つづ)いても、(けっ)して(みず)がかれることはありませんでした。
そのかわり、いったん(あめ)がふると(かわ)はたちまちはんらんして、あたりの田畑(たはた)一面(いちめん)(みず)びたしになってしまうありさまでした。
そのためこのあたりには、(いま)でも『水野(みずの)』『逃水(にげみず)』『水押(みずおし)』『川向(かわむかい)』『北流(きたながれ)』『南流(みなみながれ)』『(ながれ)』『中流(なかながれ)』『下流(しもながれ)』といった(みず)にちなんだ地名(ちめい)(のこ)っています。
そして、新田開発(しんでんかいはつ)のために(おお)ぜいの人々(ひとびと)がこの()()みついていましたが、(あめ)のたびにこう(ずい)になっていましたので、そのつど(おお)きなひがいをこうむっていました。
ところが、ある(とし)節分(せつぶん)(まめ)まきの())のこと、どうしたことか、不老川(としとらずがわ)(みず)がカラカラにひあがってしまいました。(つぎ)(とし)もその(つぎ)(とし)(おな)じように、節分(せつぶん)になると(みず)がかれてしまいました。
ふだんは、どんな()でも(みず)(なが)れていましたが、やはり節分(せつぶん)だけは(みず)がかれるようになってしまいました。(むら)人々(ひとびと)は、みんなふしぎがってはなしあいました。
「いったい、どうしたことだんべえ」といろいろ調(しら)べましたが、わからずじまい。とうとうだれ()うとなく「節分(せつぶん)だけ(みず)がかれるのは、この(かわ)(とし)をとりたくねえからだべえ」ということになり、その()『としとらず(がわ)』と()ばれるようになりました。
また、不老川(としとらず)(ちか)くには(みず)にちなんだ有名(ゆうめい)な『七曲(ななまが)りの()』という古代井戸(こだいいど)常泉寺(じょうせんじ)という(ふる)いお(てら)があります。

このページに関するお問い合わせは
企画財政部 広報課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2935-3765

FAX:04-2954-6262

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