射留魔地名伝説

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更新日:2011年3月1日

画:射留魔地名伝説

 狭山市周辺(しゅうへん)には「いるま」という地名が何か所かあります。「入間川」や「入間」、広くは「入間郡(いるまぐん)」があります。この「いるま」という地名には、こんな伝説(でんせつ)があります。
 むかし、とつぜん天空(てんくう)に太陽が二つのぼり、昼となく夜となく照らし続けたそうです。そのため草木は枯れ、田畑の作物が取れなくなり、人々は困っておりました。これには天子(てんし)(人々を治める者)さまも心配しまして「天に二つの太陽があるはずがない。どちらか一つが魔ものに違いない。だれかこの矢で退治してまいれ!」さっそく都でも名うての弓矢の名人が選ばれ、太陽を追って武蔵の国までやってきました。
 ちょうど見晴らしのよい入間川の小高い丘(祇園の三柱神社あたり)から、あやしいと思う太陽をねらい、天子さまから(たまわ)った矢で()ました。みごと矢は魔ものの太陽に命中しまして、たちまち光を失い、黒い雲とともに三本足のカラスとなって落ちてきました。
 そのとき魔ものが落ちたところを「天倒(てんどう)山」(天倒=天道は太陽のこと。山ともいって入間川東小の校庭のあたり)、魔ものの血で川となったところを「逆川(さかさがわ)」、太陽を討ったことから「日討(にっとう)」(川越市日東)、魔ものをまつったところを「日祭(にっさい)」(坂戸市入西)、また「日落射(ひらい)大明神」(毛呂山(もろやま)町の飛来大明神)と呼ばれるところもあります。それに魔ものを射た矢が落ちたところは「矢颪(やおろし)」(飯能市)という地名で残っています。

 こうして無事、魔ものを矢で射留(いと)めたことから、このあたり一帯を「射留魔(いるま)」(入間)と呼ぶようになった、というお話です。

このページに関するお問い合わせは
企画財政部 広報課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2953-1111

FAX:04-2954-6262

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