ダイダラボッチ

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更新日:2011年3月1日

画:だいだらぼっちの足跡

むかしむかし、ダイダラボッチが日本中(にほんじゅう)(ある)きまわっていたころのおはなしです。ダイダラボッチとは、ダイダラ(ぼう)ともいう大男(おおおとこ)のことです。
ある()、ダイダラボッチは、富士山(ふじさん)頂上(ちょうじょう)(こし)をおろして、びわ()(みず)(かお)をあらいました。
そして、ひと(いき)ついてさあ()ちあがろうと、()もとにあったつくば(さん)に「どっこいしょ」と、かた()をつきました。
するとどうでしょう。それまで三角(さんかく)(かたち)をしていた、つくば(さん)頂上(ちょうじょう)が、まん(なか)からグシャッとばかりにへこんでしまい、(いま)のように男体(なんたい)女体(にょたい)(ふた)つの(やま)になってしまいました。
()ちあがったダイダラボッチは、(おお)きなのびをして、ノッシ・ノッシと秩父(ちちぶ)(ほう)へいってしまったということです。
このダイダラボッチの(あし)あとだといわれているものが、狭山(さやま)にもあったということであります。柏原(かしわばら)下宿(したじゅく)から上宿(うわじゅく)へいくとちゅうの『だんご(ざか)』のすぐわきの(はたけ)(なか)(おお)きなあながあったそうです。
このあなは、そのむかしダイダラボッチがこのあたりを(とお)りかかった(とき)にできたものだそうです。
また、ダイダラボッチの(でん)せつは、埼玉県内(さいたまけんない)にも、秩父地方(ちちぶちほう)中心(ちゅうしん)にして、たくさんのこっています。
そして、ダイダラボッチの(あし)あとといわれるものは、おとなりの入間市(いるまし)川越市(かわごえし)笠幡地区(かさはたちく)にものこっているそうです。
この(あな)とは窪地(くぼち)のことで、久保(くぼ)ともいわれ、地名(ちめい)としてのこっているところがたくさんあります。

このページに関するお問い合わせは
企画財政部 広報課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2935-3765

FAX:04-2954-6262

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