応永年間(1394~1427)出羽国羽黒山のふもとに伴蔵人一俊という人が住んでいました。
ある時羽黒権現が夢枕に立ち『おまえは武蔵国に行き土地を開拓し居を定むべし』とのお告げがあり、同志とともに武蔵国に来てこの地に永住しました。
そして名前を奥州より来てこの地にとどまったので、奥留扇斗と改め、羽黒権現(稲倉魂命)を村の産土神として祭ったのが加佐志羽黒神社であると伝えられています。
明治42年1月、一村一社の法令により堀兼神社に合社となり、社殿は取りこわすべきところを土地の人達の要望により堀兼神社遙拝所として残していましたが、終戦後の宗教法の改正により、昭和25年2月10日神社本庁の認可を受け、羽黒神社として再建しました。また、その時に大東亜戦争戦没者19柱を、十九霊社として合祀しました。
- 主祭神:稲倉魂命
- 合祀神:須佐之男命・火産霊命・十九神霊社
場所
所在地
狭山市大字加佐志175番地付近
羽黒神社
関連項目
指定文化財
歳時記
民話・伝承
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