狭山市大字青柳の新狭山ハイツ造成の際、丸山の池のかたわらにあった弁財天を池の縮小に伴い、祭りなおしたものです。
「丸山辨財天由来記」より要約
武蔵野の原の、鎌倉街道のほとりに湧水があり、多くの旅人が渇を癒してよろこばれたのが、この有名な丸山の池であるといわれています。
北條時頼が関東巡視の際、道に迷って渇を潤したのもこの池で、その時、時頼公が池のそばに弁財天をお祭りしたのがはじまりとされ、歳月は流れても水の色は清冷であり、大干ばつがあったとしても枯渇せず、老杉や古木が勢いよく一面に生い茂り、池の周囲からは、常に湧水が滴り落ちる神秘的な場所であったとのことです。
寛政三年(1791)の正月に願主となり、武州青柳村丸山組中が石宮を建立して再興を計り、弁財天の祭典を正月の初巳の日と定めたとされています。
池の水でお金を洗いますとその年の内にお金が倍額になるとの伝説があり、いつしか参詣する人達に「銭洗いの祭り」と呼ばれるようになって、その後、180年ほど経った明治の初期には、銭洗いの風習はなくなり、崇敬者が池に鯉や緋鯉・亀などを奉納して祈願するようになったとのことです。
- 祭神:弁財天
場所
所在地
狭山市大字青柳63番地 新狭山ハイツ内
新狭山ハイツ内丸山弁財天
関連項目
歳時記
狭山の絵本
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