影かくし地蔵さま

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更新日:2011年3月1日

影かくし地蔵さま

 水富の上広瀬という所に、奥州道(おおしゅうどう)といわれている昔からの街道があります。そして、この道ばたには「影隠地蔵(かげかくしじぞう)」とよばれる古いお地蔵さまがポツンと里を見守っています。
 このお地蔵さまには、こういうお話が伝わっています。それは、むかしむかし、源氏と平家がさかんに戦争をしていた頃のことです。
 木曽義仲(きそよしなか)の長男の清水冠者義高(しみずのかじゃよしたか)は、鎌倉の源頼朝(みなもとのよりとも)への人質になっていました。ところが、義高のお父さんの木曽義仲は、寿永(じゅえい)3年(1184)に、源頼朝の命令を受けた源義経(みなもとのよしつね)の手でほろぼされてしまいました。
 義仲をほろぼした頼朝は、次に人質の義高を殺すことにしました。殺されることを知った義高は、義理のお母さんの北条政子(ほうじょうまさこ)のはからいで、女の子の姿をして夜に、そっと鎌倉を逃げ出しました。
 義高は必死に走りました。府中から所沢をとおり、やっとのおもいで入間川を越えました。
 これでひと安心と、後ろを振り向くとどうでしょう。鎌倉からの追手が馬をとばして、ぐんぐん近づいてきます。逃げる義高。馬で追う荒武者(あらむしゃ)。義高は必死に走り、奥州道までたどりつきました。しかし、いくら走っても馬にはかないません。間一髪のところで義高は、道ばたのお地蔵さまを見つけました。
  『お地蔵さま、どうぞ私を助けてください。』とお地蔵さまの後ろに姿をかくしました。すると、不思議なことにあれほど近づいていた追手も義高を見失ってしまいました。
 清水冠者義高は、このお地蔵さまの慈悲(あわれみのこと)によって危ないところを救われたそうです。 
 また、このお話とは別に、入間川3丁目の本富士見橋(もとふじみばし)脇には、清水冠者義高が、この地で討たれてしまったとする史実に基づき、義高をまつった「清水八幡宮」というお(やしろ)があります。
※筆者より・・・昔ばなしと史実では、矛盾もありますが、筆者は里人(さとびと)の心の暖かさを感じました。
(狭山の絵本より)

地図

所在地
狭山市柏原69番地付近

関連項目

指定文化財

このページに関するお問い合わせは
生涯学習部 社会教育課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2946-8594

FAX:04-2954-8671

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