義貞伝説あれこれ

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更新日:2011年3月1日

義貞伝説あれこれ

 むかし(鎌倉時代のころ)新田義貞(にったよしさだ)が元弘3年(1333)5月8日、群馬県新田の生品明神(いくしなみょうじん)で旗揚げをしまして、鎌倉を攻めました。
 10日には入間川に到着し、小手指ヶ原へと向かいました。そのときの義貞伝説の場所が市内にはいくつかあります。
 先ずは、入間川八幡神社の境内(けいだい)にあります「駒つなぎの松」。これは義貞が神社に戦勝祈願(せんしょうきがん)したとき、乗っていた馬をつないだ松だそうです。
 柏原の永代寺(えいだいじ)のうら山あたりは義貞が陣屋をかまえたところといわれ「御所(ごしょ)(うち)」といい「新田の(やかた)」というところもあります。
 そして、奥富の瑞光寺(ずいこうじ)には武運祈願(ぶうんきがん)したときにおさめられたといわれる「義貞の太刀(たち)」があるといわれています。
(広報さやま平成8年11月10日号より)

このページに関するお問い合わせは
生涯学習部 社会教育課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2946-8594

FAX:04-2954-8671

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