勝呂大智寺末でありますが、創立については不詳です。一時浄土真宗となったこともありますが、新編武蔵風土記稿には「中興開山妙浄という僧宗旨を復古して、享保元年(1716年)11月15日寂す」とあります。
しかし、当寺の記録によると第8世明浄和尚が元の宗派に復古したことになっており、明浄和尚については「永田満福寺エ移轉其後寂、文政6癸未(1823年)5月朔日・假名惠秀足立郡町屋村井原氏人也」としてあります。
また、永代寺住職法舟(円光寺住職第9世法印であり、明治6年4月18日寂)が文政12年(1829年)10月に記した当寺の過去帳序文を要約してみると、次のようです。
「当寺の古記録は焼失して由緒が伝わらず、その史実は不明である。昔、本宿は洪水のために人家が流され、住居や寺も高台の円光寺久保に移された。その後足利時代末から慶長年間(1596年~1615年)、元和年間(1615年~1624年)ごろまで国家動乱で穏やかでなかったが、元和のころ平和に復したので村人、寺も共に本宿に戻り住むようになったが元和以前の記録には無く、ただ伝承が残されているのみである。しかし、長谷川家剣明神社に、宝永年間(1704年~1711年)、文明元年(1469年)の年記のある御神体(懸仏)が井戸の中より現れ、御神体としてあることや、その他古い年記のある青石塔婆が存在することは、村が古くからある証拠である。永代寺、円光寺の過去帳は元和(1615年~1624年)、寛永(1624年~1644年)の時代が初めてであり、それ以前は乱世、洪水等のため、その古記録を失っている。」
寺宝の銅製聖観世音菩薩立像は、市指定文化財です。
- 本尊:不動明王
場所
所在地
狭山市柏原1027番地
円光寺
関連項目
指定文化財
狭山の石仏
民話・伝承
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