新田氏の家臣美濃守貞満の子孫堀口一学信光は天正18年(1590年)ごろ、横浜市港北区茅か崎町から作人らを連れて水富村に移住し、この地を開拓して大農家となりました。そして、堀口家守護神である薬師如来を屋敷内に祭ったといわれています。
その後、薬師堂のあった土地は分家のものとなり、そのまま祭られていましたが、火災により堂が焼失してしまいましたが、薬師如来像だけは焼失を免れました。
そして、宝暦8年(1758年)堂を再建し、再び薬師像を堂内に祭っていましたが、明治になって祭主が移転することになり、薬師如来は信立寺に納められました。ところが、大正末年ごろ、堀口一族の家に不幸が続き、これは薬師如来のたたりだとして、再び堀口家で祭ることになり、本家及び信者より浄財を集め、大正15年現在の土地に堂を再建し、3月12日信立寺より薬師如来立像を遷座しました。
1月12日は堀口薬師大祭で、毎月12日が縁日になっています。また、上広瀬に所在するので「上広瀬薬師堂」とも呼ばれています。
- 本尊:薬師如来
場所
所在地
狭山市広瀬2丁目
堀口薬師堂
関連項目
民話・伝承
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