秀麗な姿をした富士山は、古くから霊山として信仰されてきました。とくに江戸時代後期から明治時代になると、各地に同信者の集団である講が結成され、富士山に見立てた富士塚や講碑が建てられました。
この石碑は青柳の氷川神社境内にあるもので、明治10年(1877)8月の造立です。表面を平らに削った自然石に「富士嶽神社」と刻み、その上部には瑞雲を伴った日月があります。
裏面には「村内五穀豊登」の文字があるので、五穀豊饒を祈願する作神的要素が強い石碑といえます。
なお、富士信仰碑は、江戸時代には「富士浅間宮」や「富士仙元大菩薩」などと刻むものが多く、明治初年の神仏分離以後は「富士嶽神社」「浅間大神」などと刻まれています。
- 寸法:高さ171センチメートル・幅77センチメートル・台座高さセンチメートル・台座幅180センチメートル
場所
所在地
狭山市大字青柳475番地
氷川神社
関連項目
社寺
このページに関するお問い合わせは
生涯学習部 社会教育課
狭山市入間川1丁目23番5号
電話:04-2946-8594
FAX:04-2954-8671
この情報は役に立ちましたか?
お寄せいただいた評価はサイト運営の参考といたします。