富士信仰碑

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更新日:2017年11月24日

富士信仰碑

秀麗な姿をした富士山は、古くから霊山として信仰されてきました。とくに江戸時代後期から明治時代になると、各地に同信者の集団である(こう)が結成され、富士山に見立てた富士塚や講碑が建てられました。
この石碑は青柳の氷川(ひかわ)神社境内にあるもので、明治10年(1877)8月の造立です。表面を平らに削った自然石に「富士嶽(ふじたけ)神社」と刻み、その上部には瑞雲(ずいうん)を伴った日月(じつげつ)があります。
裏面には「村内五穀豊登(ごこくほうと)」の文字があるので、五穀豊饒(ほうじょう)を祈願する作神的要素が強い石碑といえます。
なお、富士信仰碑は、江戸時代には「富士浅間宮(せんげんぐう)」や「富士仙元大菩薩(せんげんだいぼさつ)」などと刻むものが多く、明治初年の神仏分離以後は「富士嶽神社」「浅間大神」などと刻まれています。

  • 寸法:高さ171センチメートル・幅77センチメートル・台座高さセンチメートル・台座幅180センチメートル

場所

所在地
狭山市大字青柳475番地
氷川神社

関連項目

社寺

このページに関するお問い合わせは
生涯学習部 社会教育課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2946-8594

FAX:04-2954-8671

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