広福寺(薬王山地蔵院)

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更新日:2011年3月1日

広福寺(薬王山地蔵院)

天台宗仙波中院末薬王山地蔵院と号します。草創(初めて寺を建てること)は正徳4年(1714年)当寺が全焼し、古記録が焼失されたため不詳です。
当寺には、徳川三代将軍家光がたびたびお成りになったと記録があり、寛永5年(1628年)のお成りの際、川越城主松平伊豆守に命じて本堂西側に休憩所を造らせ、その側に御鷹部屋を建てて、鷹を放し飼いされたといわれています。
本堂前の紅梅は、家光が嘆賞したので「御詞(おことば)の梅」という言い伝えがあり、またその梅の側の井戸もその水で家光にお茶を入れたので、これも「梅の井」といわれています。
幕末には、水戸藩士から広福寺の住職になった章意和尚に関係して、勤皇の志士である当時の川越地方出身の西川錬造や清河八郎らが、当寺に出入りしていたと伝えられています。
広福寺山門は市指定文化財です。

  • 本尊:薬師如来(やくしにょらい)

場所



関連項目

指定文化財

狭山の石仏

狭山の絵本

民話・伝承

このページに関するお問い合わせは
生涯学習部 社会教育課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2946-8594

FAX:04-2954-8671

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