狭山市は、昔、入間川とよばれる宿場町として大変栄えました。
そのころ、綿貫様という長者どのがおりました。大きな屋敷には4か所の井戸を持ち、異変のためにたくさんの抜け穴が掘られました。
現在の中央図書館前の道を「山下通り」・・・この「山下」は、綿貫家の屋号で、江戸の上野にも「山下」の地名をつくったそうです。入間川を本拠地として、江戸の神田周辺にたくさんの店や蔵、土地を持っていたことから、江戸の綿貫家、北の本間家、大阪の鴻池と、唄にうたわれるほどのお大尽でした。
入間川宿から江戸までの道のりでは、一歩たりとも、他人の土地を踏まずに行けたといわれ、綿貫家の台所にある皿や茶碗を全部並べると、家の門から所沢まで続いたともいわれています。また、綿貫家のいろりは、それは大きく、そばに9尺2間の屏風が置かれていたそうです。
江戸の神田には、毎日70人からの食客があり、角力取り、役者、絵師が寄食していたり、大名、旗本衆に大金を貸したりしていました。
そんな長者伝説の遺跡が残る入間川は、歴史の1ページを飾る貴重なところです。
(広報さやま平成21年12月10日号より)
地図
伝承地
狭山市入間川2丁目2番付近
福徳院不動尊
関連項目
社寺
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