伝・八丁の渡し

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更新日:2011年3月1日

伝・八丁の渡し

 鎌倉街道の入間川に「八丁の渡し」と呼ばれるところがあります。大きな橋もなく人々は、川の浅瀬を探しながらの徒歩渡りでした。
 昔、木曽義仲(きそよしなか)源頼朝(みなもとのよりとも)に討たれます。そのとき義仲の嫡子で12歳になる清水冠者義高(しみずのかじゃよしたか)は、頼朝の娘 である大姫(おおひめ)の計らいで女装をして入間川まで逃れてきます。そして、八丁の渡しにさしかかったところで、無念にも追っ手によって討たれてしまいます。
 入間川の八丁の渡しが義高終焉(しゅうえん)の地とされ、今も残る国道16号線沿いの「清水八幡」のお社と、奥州道に安置されている「影隠地蔵(かげかくしじぞう)」には、多くの参拝者が後を絶ちません。
 この八丁の渡しは、市内に2ケ所あるとされています。その1つは、子ノ神(ねのかみ)さまを下り、本富士見橋周辺の中島辺りだとか、もう1つは奥富の前田、入間川堤防に建つ九頭龍大権現(くずりゅうだいごんげん)の石仏辺りから柏原へ渡る浅瀬です。
 春の入間川の土手を歩いていますと、周りは緑に包まれ、また、堤内では少年・少女のスポーツが盛んで、明るい元気な声と野鳥のさえずりが聞こえる中での歴史ウオーキングが楽しめます。
(広報さやま平成19年4月10日号より)

関連項目

社寺

狭山の石仏

このページに関するお問い合わせは
生涯学習部 社会教育課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2946-8594

FAX:04-2954-8671

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