鎌倉街道の入間川に「八丁の渡し」と呼ばれるところがあります。大きな橋もなく人々は、川の浅瀬を探しながらの徒歩渡りでした。
昔、木曽義仲が源頼朝に討たれます。そのとき義仲の嫡子で12歳になる清水冠者義高は、頼朝の娘 である大姫の計らいで女装をして入間川まで逃れてきます。そして、八丁の渡しにさしかかったところで、無念にも追っ手によって討たれてしまいます。
入間川の八丁の渡しが義高終焉の地とされ、今も残る国道16号線沿いの「清水八幡」のお社と、奥州道に安置されている「影隠地蔵」には、多くの参拝者が後を絶ちません。
この八丁の渡しは、市内に2ケ所あるとされています。その1つは、子ノ神さまを下り、本富士見橋周辺の中島辺りだとか、もう1つは奥富の前田、入間川堤防に建つ九頭龍大権現の石仏辺りから柏原へ渡る浅瀬です。
春の入間川の土手を歩いていますと、周りは緑に包まれ、また、堤内では少年・少女のスポーツが盛んで、明るい元気な声と野鳥のさえずりが聞こえる中での歴史ウオーキングが楽しめます。
(広報さやま平成19年4月10日号より)
関連項目
社寺
狭山の石仏
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