むかしのお話です。万葉集にでてくる入間路は、広い広い荒野でした。江戸時代に入っても雑木林と、ところどころ田畑のある草原でした。
あるとき旅人が通りかかりました。はじめてやってきたらしく道をさがしながら歩いておりました。ちょうど下奥富あたりへきたとき、畑しごとをしている人に道をたずねました。
『越生の方へ行きたいのですが』
『あー、それなら一本松の道しるべを見ればわかるべー』と、道標をおしえてくれたそうです。
それは、武蔵野の一本松の道標といいまして、寛政二年(1790)に造られた石柱でした。
【東 川越一り半、西 扇町屋一り半 八王子拾八り、南 三ツ木□□村武蔵野、北 下奥富入口 柏原生越道】
と、彫られています。また、「武蔵野は西も東もわからねど南に北みちしるべかな」と、作者不明のしゃれた歌もあります。
生越とは、今の越生町のことで、大きくて彫りもしっかりした道標はめずらしく、現在、国道16号線沿いにたち、市の史跡でたいせつな文化財です。
(広報さやま平成11年11月10日号より)
地図
所在地
狭山市大字下奥富496番地付近
関連項目
指定文化財
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狭山市入間川1丁目23番5号
電話:04-2946-8594
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