綿貫家の井戸

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更新日:2011年3月1日

綿貫家の井戸

 むかしのお話です。入間川の綿貫家といえば、東北の本間家、大阪の鴻池(こうのいけ)家とともに、唄にうたわれたほどのお大尽(だいじん)だったそうです。
 あるとき、井戸の水をわけてもらいにきた人がおったそうです。すると番頭さんがでてきて
『あー、それはおやすいご用です。わたしの方には四つの井戸がありますが、どの井戸をつかいますか』

 その井戸といいますのは、一つめは隠居場(いんきょば)のあったところで、現在の図書館の下あたり、二つめは狭山市駅前の八百屋あたり、三つめは綿貫家の墓地(現在は移転しました)のあたり、四つめは徳林寺(とくりんじ)のあたりだったといわれております。
 いまさらながら、そのスケールの大きさにはおどろかされたということです。また、ぶっこし【一揆(いっき)】があったとき、綿貫家では、四つの井戸の中に金銀を隠しておき、家財道具は天岑寺に預けて無事だったことから、お礼にと『葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず』という石碑を奉納しました。今も参道の入り口にたっています。

(広報さやま平成12年9月10日号より)

地図

※おおよその場所を推定で示しています。

関連項目

社寺

このページに関するお問い合わせは
生涯学習部 社会教育課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2946-8594

FAX:04-2954-8671

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