むかしのお話です。入間川の綿貫家といえば、東北の本間家、大阪の鴻池家とともに、唄にうたわれたほどのお大尽だったそうです。
あるとき、井戸の水をわけてもらいにきた人がおったそうです。すると番頭さんがでてきて
『あー、それはおやすいご用です。わたしの方には四つの井戸がありますが、どの井戸をつかいますか』
その井戸といいますのは、一つめは隠居場のあったところで、現在の図書館の下あたり、二つめは狭山市駅前の八百屋あたり、三つめは綿貫家の墓地(現在は移転しました)のあたり、四つめは徳林寺のあたりだったといわれております。
いまさらながら、そのスケールの大きさにはおどろかされたということです。また、ぶっこし【一揆】があったとき、綿貫家では、四つの井戸の中に金銀を隠しておき、家財道具は天岑寺に預けて無事だったことから、お礼にと『葷酒山門に入るを許さず』という石碑を奉納しました。今も参道の入り口にたっています。
(広報さやま平成12年9月10日号より)
地図
※おおよその場所を推定で示しています。
関連項目
社寺
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