第9回 注ぎ口が付いた土器の話1

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更新日:2017年10月24日

宮原遺跡第1号住居跡出土土器

この「土瓶」のような形の土器は、約3,500年前の縄文時代後期のもので、柏原に所在する宮原遺跡第1号住居跡から出土しました。注ぎ口が付いているため、「注口土器(ちゅうこうどき)」と呼ばれています。
きめの細かい粘土を使用して作られ、文様も渦巻文や曲沈線(きょくちんせん)、細かい縄文などを駆使(くし)して入念に施され、器面全体も丁寧(ていねい)に磨かれています。また、普通の縄文土器が周囲からの視線を重視するのに対し、この土器は下写真右(土器俯瞰(ふかん))のように、上からの鑑賞にも耐えるものとなっています。一対の把手には穴の内側に擦れたような痕があり、ひもなどを通して、現在の急須のような(つる)を付けていた思われます。下写真左(土器正面)に丸い穴が開いていますが、本来はここに管状の注ぎ口が付いていました。残念ながら、発掘調査では発見されませんでした。

では、この土器の用途は何だったでしょうか。形は土瓶のようでもお湯を沸かしたり、もちろんお茶を入れたりする道具でもありません。土器の底には火にかけたような痕跡はありません。また、お茶は鎌倉時代初期に大陸から渡ってきたとされていますから、当然縄文時代の日本列島には存在しませんでした。形から考えても中に何かを入れて貯蔵したものとも思えません。ただ、作りの丁寧さ、文様の緻密(ちみつ)さから特殊な用途に使用されたことは容易に推測されます。現在の学説では、お祭りの時に、お酒を注ぐのに使われたのではないか、あるいは薬草などを煎じて病人の口に注ぐのに使用したのではないかという2つの説が有力となっています。縄文時代の人々がお酒を作っていたかどうかは不明ですが、どちらの説も祭りの喜びや病気平癒(へいゆ)の祈りが感じられます。縄文土器の中でも、本例のような特別な品は、当時の人々の気持ちが直接伝わってくるような気がします。

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狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2946-8594

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