第2回 阿玉台式土器

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更新日:2013年5月7日

阿玉台式土器

この土器は、狭山市下奥富に立地する稲荷上遺跡から出土した土器で、縄文時代中期、約4千500年前のもので、全体の約80%が復原されました。千葉県香取市(旧香取郡小見川町)所在の阿玉台(おたまだい)貝塚周辺で発掘された土器を基準として、阿玉台式土器と呼ばれています。千葉県、茨城県、栃木県と、東関東地方に広く分布します。前回紹介した勝坂式土器は、西関東から甲信地方と、分布する地域は異なりますが、ほぼ同時期の土器型式です。

阿玉台式土器は、時間的に4段階に変化します。本来は左図のようなシンプルな土器ですが、2段階以降、勝坂式の影響を強く受けて、似かよった姿に変貌します。この土器も例外ではなく、文様区画や文様を描く道具に共通性が見られます。隆帯(りゅうたい)脇に付けられた刻み目は、竹を半分に切ったものや先端をペン先状に尖らしたもので描かれており、同じ道具が勝坂式土器でも多く使われています。

文様は3帯構成をとっています。口縁部(こうえんぶ)は立体的な造形で、一対の山形突起を等間隔に4ヵ所作り、その下に眼鏡状の把手を付けています。この把手は、もともと阿玉台式土器には無く、勝坂式土器に由来するものです。文様区画は三角形を基調としています。隆帯脇と区画内には、刻み目や波状文を入念に施しています。口縁部文様直下に無文部を置きます。胴部文様は隆帯を垂れ下げるように貼り付け、両脇に口縁部と同じ道具で刻み目を描きますが、空白部が多く、やや簡素なイメージです。勝坂式土器が文様帯下端を区画するのに対し、開放しているところが阿玉台式土器の流儀です。また、粘土に雲母を含むのも特徴の一つです。狭山市やその周辺では出土例が少なく、関東地方の東西交流を示す貴重な資料といえます。

関連項目

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生涯学習部 社会教育課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2946-8594

FAX:04-2954-8671

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