第6回 カワラケと内耳鍋

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更新日:2014年1月14日

柏原は、戦国時代に後北条氏(ごほうじょうし)と争った山内上杉氏(やまのうちうえすぎし)扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)が陣を張ったとされています。しかし、記録が少ないため、実態は不明瞭でした。

カワラケ

そのような中、平成6年に柏原に所在する英遺跡(はなぶさいせき)の堀の中からカワラケと内耳鍋(ないじなべ)が発見されました。
カワラケとは、ロクロで成形し、低い温度で焼いた中世特有の赤茶色の土器です。形や作り方が、山内上杉勢が使用していたものであったため、文献の通りに同氏の軍勢が陣を張った可能性が高まりました。

カワラケ

埼玉県で出土する15世紀後半から16世紀中頃の器は、大きく3系統に分類されています。それぞれの特徴を挙げると、一つ目は、薄手の扁平(へんぺい)なお皿のような形の器で、これは山内上杉氏の勢力が使っていたとされます。二つ目は、器の底の内面に渦巻状(うずまきじょう)の模様がある器で、これは扇谷上杉氏の勢力が使っていたとされます。三つ目は、口と底の直径の差が大きい器で、これは古河公方足利氏(こがくぼうあしかがし)の勢力が使っていたとされています。
英遺跡で出土したカワラケの断面を見ると、器の厚さは薄く均一で、底から口まで直線的に作られています。口径と底径は比率で考えると、差は小さく、また、底部の内面にも特に模様はありません。
このため、二つ・三つ目の系統の特徴とは一致せず、一つ目の特徴を持っているため、山内上杉氏の勢力が使っていたもの、と考えられたのです。

内耳鍋

内耳鍋は、内側に輪が2箇所ついている土鍋です。輪は、ツルを通して、天井から吊るために使います。火にくべた時に、ツルが燃えないようにするために、内側に輪がついています。原型は鉄製の内耳鍋なのですが、鉄が高価なため、形だけ模倣(もほう)して土で作られています。15世紀前半から後半までは鍋状の深手のものが多く、その後16世紀前半くらいから焙烙状(ほうろくじょう)の浅いものが出回り始め、やがて流行するようになります。
英遺跡出土の内耳鍋は深手で、口は断面が「ハ」の形に直線的に開いています。また、内耳部分は器の外形をあまり崩さないように取り付けられています。これらの特徴から、15世紀後半から16世紀初頭くらいのものと考えられます。

このページに関するお問い合わせは
生涯学習部 社会教育課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2946-8594

FAX:04-2954-8671

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