この土器は、狭山市柏原に所在する丸山遺跡から出土したものです。丸山遺跡は、平成3年度にグラウンド建設に伴い発掘調査が実施され、14軒の縄文時代中期の竪穴住居跡が検出されました。
そのうちの1軒、第10号住居跡から出土していますが、出土状態が非常に変わっていて、住居の柱を抜いた後に、その穴にはまり込んだ状態で発見されました。また、胴の下の部分は重さで剥落したのか、さらに下に落ちていました。この出土状態は極めて稀な例といえます。把手の一部をはぶいて、ほぼ完全な形に復原されました。
勝坂式土器は、縄文時代中期、約4千5百年前の土器型式で、神奈川県相模原市勝坂遺跡から名をとっています。関東地方西部から山梨県、長野県に広く分布するもので、大ぶりの把手や粘土紐を貼り付けて造形された立体的な装飾を特徴としています。この土器も、その例に漏れず、複雑な文様や立体的且つ端整な作りは市内出土の縄文土器の中でも優品といえるでしょう。
文様は3帯構成をとっています。口縁部は大小の把手を基点に三角形状の区画を連続させます。正面の大把手は、その形状から、人面や精霊を模したものと考えられています。各区画内は刻み目、三叉文や横並びの沈線を隙間なく充填しています。口縁部文様の下に無文部を置き、その下には連続三角区画、さらに楕円区画を作り出しています。口縁部の文様と同じく、区画内は沈線や三叉文と刻み目を充填しますが、内容を少しずつ変えて意図的に変化を持たせているようです。これらの文様については何を表していたのか不明ですが、その意味について想像を巡らし、当時の人々の考え方に思いをはせるのも縄文土器鑑賞の楽しみといえましょう。
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