第5回 瓦

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更新日:2013年11月20日

狭山市の一般的な住居跡から、稀に奈良・平安時代の瓦が出土します。瓦の広い面は、格子(こうし)状または縄目(なわめ)状の文様がついて、ザラザラとしています。これは、型に粘土を当てて成形をする際に、型からはがしやすくするため、型と粘土の間に麻布や(むしろ)(はさ)んだ結果ついた文様です。一方狭い面は、焼く前にヘラ等で丁寧に面取りされており、精緻(せいち)な焼き物の手触りがします。

平瓦・軒丸瓦

出土した状態から推察するところ、これらの瓦は、(かまど)の補強材として使用したり、砥石(といし)として使用したりと、屋根を()くという本来の目的とは違う使い方がされていたようです。当時瓦は、寺院や政庁の屋根を葺くためのもので、一般的な住居の屋根材に瓦は使用されませんでした。規格外品や余剰品の再利用という訳です。

瓦は、須恵器(すえき)と同様に、大型の(かま)で一気に焼成されました。

生産は、将領・瓦工・仕丁・雇工らによって行われ、粘土採掘から粘土の錬成、瓦の成形、乾燥させるための瓦並べ、焼成用の薪の採取、瓦の焼成、瓦の取り出し、瓦の運搬、屋根葺きまでを一通りの仕事としていました。

史料にみられる瓦造り

奈良時代の文書によれば、将領2人、瓦工8人、仕丁18人という生産体制で、3・4月の2ヶ月間に15,880枚を焼成し、納品しています。
また、平安時代の規則書によれば、粘土の採掘は1人当たり1日2,000斤という量が割り当てられているほか、粘土の錬成は1日200斤等と、作業量まで細かく規定されています。更に、瓦の成形は瓦の部位によって課せられる作成数に差が有り、平瓦や丸瓦なら90枚、軒平瓦なら28枚、軒丸瓦なら23枚となっています。そして、成形した瓦を乾燥させるために並べる作業は、1日350枚が割り当てられ、焼成が行われた後の瓦の運搬は、人が担いで工事現場まで運ぶ場合、平瓦なら12枚、丸瓦なら16枚、軒平瓦なら9枚、軒丸瓦なら7枚を、一種類ずつ運び、運搬車を用いるならば、平瓦は120枚、丸瓦なら140枚、軒平瓦なら80枚、軒丸瓦なら60枚とされていました。

このページに関するお問い合わせは
生涯学習部 社会教育課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2946-8594

FAX:04-2954-8671

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