狭山市の一般的な住居跡から、稀に奈良・平安時代の瓦が出土します。瓦の広い面は、格子状または縄目状の文様がついて、ザラザラとしています。これは、型に粘土を当てて成形をする際に、型からはがしやすくするため、型と粘土の間に麻布や筵を挟んだ結果ついた文様です。一方狭い面は、焼く前にヘラ等で丁寧に面取りされており、精緻な焼き物の手触りがします。
出土した状態から推察するところ、これらの瓦は、竈の補強材として使用したり、砥石として使用したりと、屋根を葺くという本来の目的とは違う使い方がされていたようです。当時瓦は、寺院や政庁の屋根を葺くためのもので、一般的な住居の屋根材に瓦は使用されませんでした。規格外品や余剰品の再利用という訳です。
瓦は、須恵器と同様に、大型の窯で一気に焼成されました。
生産は、将領・瓦工・仕丁・雇工らによって行われ、粘土採掘から粘土の錬成、瓦の成形、乾燥させるための瓦並べ、焼成用の薪の採取、瓦の焼成、瓦の取り出し、瓦の運搬、屋根葺きまでを一通りの仕事としていました。
史料にみられる瓦造り
奈良時代の文書によれば、将領2人、瓦工8人、仕丁18人という生産体制で、3・4月の2ヶ月間に15,880枚を焼成し、納品しています。
また、平安時代の規則書によれば、粘土の採掘は1人当たり1日2,000斤という量が割り当てられているほか、粘土の錬成は1日200斤等と、作業量まで細かく規定されています。更に、瓦の成形は瓦の部位によって課せられる作成数に差が有り、平瓦や丸瓦なら90枚、軒平瓦なら28枚、軒丸瓦なら23枚となっています。そして、成形した瓦を乾燥させるために並べる作業は、1日350枚が割り当てられ、焼成が行われた後の瓦の運搬は、人が担いで工事現場まで運ぶ場合、平瓦なら12枚、丸瓦なら16枚、軒平瓦なら9枚、軒丸瓦なら7枚を、一種類ずつ運び、運搬車を用いるならば、平瓦は120枚、丸瓦なら140枚、軒平瓦なら80枚、軒丸瓦なら60枚とされていました。
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