第4回 須恵器短頸壺

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更新日:2013年12月9日

狭山市に所在する奈良・平安時代の遺跡からは、近隣市町村に所在する遺跡と同様に、須恵器・土師器が出土します。中でも当時操業していた東金子窯(入間市)で生産された須恵器は、窯場が近いこともあり、当市から出土する須恵器の大半を占めます。
須恵器は、大型の窯で焼き上げた硬質な土器です。大量の薪を用いて多くの器を一気に焼き上げますが、失敗してしまうものもあり、こういった規格外のものは、窯の近くに廃棄されていました。ところが、出荷するには堪えないけれど使うことはできるという、状態の良い失敗作が今宿遺跡の住居跡から出土しています。

今宿遺跡64号住居跡出土須恵器短頸壺

この器は(くび)の部分が短いため、短頸壺(たんけいこ)と呼ばれるものです。本来ならば、肩部から頸部は中央の口縁部に向けて若干盛り上がる形をしています。
一般的な集落ではあまり出土しないことから、受注して少量生産された品と考えられます。
残念ながら、この壺は焼き歪みが著しく、一部が破損しているため、結局発注者の手には渡らなかったものでしょう。

焼き歪みは、恐らく焼成中に窯の天井を形成する粘土の一部が剥落したことによって引き起こされたと考えられます。
壺の上には逆向きの蓋か坏が置かれて一緒に焼き、これに落ちてきた塊がぶつかり、その衝撃と重みで片側の肩部分がひしゃげ、内側に亀裂が入ってしまったと考えられます(図1)。また、剥落した粘土の別の小さな塊は、そのまま肩部分の外面に付着しています。

ひしゃげてしまった後も焼成は続き、灰を被っていた部分はガラス成分が溶け出し、付着した剥落粘土の塊を固定しています。
更にガラス成分は溶けだし、ひしゃげて窪んでいた肩部分からあふれ出して、自然釉のスジを形成しています(図2)。

そして、須恵器の職人は窯を開け、出来上がりを見てがっかり。ひしゃげて粘土の塊が付着した壺は発注者に渡せなかったに違いありません。
しかし、少し時代が下った頃の同じ窯業を営む瓦職人が、千枚焼いたら二百枚の不合格品が出る、ということを計算に入れていたことからわかるように、この壺を焼いた職人も恐らく失敗を想定し、同じ形の壺を複数作って焼いていたことでしょう。
一緒に作っていた壺の焼き上り具合はどうだったのでしょうね。

このページに関するお問い合わせは
生涯学習部 社会教育課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2946-8594

FAX:04-2954-8671

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