道しるべ
現代の道しるべは、単に行き先を示す「物」でしかありませんが、江戸時代のそれは神や仏としての性格を持っていました。そのことは、道しるべの多くに地蔵菩薩や馬頭観音などが刻まれているのをみればわかります。
道しるべは本来、見ず知らずの旅人が、迷うことなく目的地へ到着できるようにとの配慮から建てられたものです。それでは、自分たちの利益に無関係な道しるべを、なぜ村人は建てたのでしょうか。
私たちは、社会の中で互いに支えあって生きています。1人の人間がこの世を生きるには、今も昔も目にみえない多くの人々の力添えがあってのことですが、当時はこれに加えて、神仏の加護が人の人生を大きく左右すると考えられていました。
決して楽な暮らし向きでなかった当時の農民が、大切な金銭を浄財として出し合ってまで道しるべを建てたのは、それが「人の道に適う」と考えていたためと思われます。
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