経典供養塔

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更新日:2011年3月1日

仏教を構成する3つの要素に「三宝(さんぽう)」があります。三宝とは「(ぶつ)(ぽう)(そう)」のことですが、このうちの法が文字が記された経典(きょうてん)といえます。

経典供養塔とは、ありがたいお経を読んだり書き写したりすることに、はかり知れない功徳(くどく)があるとする仏教の教えに基づいて造立されたものです。

経典読誦供養塔

経典供養塔の中で、もっとも多く造立されているのは経典読誦供養塔です。この供養塔は、大乗妙典(だいじょうみょうてん)法華経(ほけきょう))や大般若経(だいはんにゃきょう)光明真言(こうみょうしんごん)などの経典を、一定回数読誦した記念に造立されたものです。

大乗妙典(法華経)読誦供養塔

大乗妙典とは、私たち衆生を迷いから悟りの世界に導いてくれる経典で、一般的には法華経、すなわち妙法(みょうほう)蓮華経をさすといわれています。

石塔には、「奉読誦大乗妙典一千部供養」「妙法千部供養」などと刻まれることが多く、市内では18世紀初頭から造立がはじまります。

普門品(ふもんぼん)読誦供養塔

普門品読誦供養塔とは、法華経のうちの観世音菩薩普門品(ふつう観音経という)を、一定回数読誦した記念に造立した供養塔です。

この石塔は、19世紀になってから造塔がはじまりますが、前述した大乗妙典読誦供養塔が先祖の追善(ついぜん)供養や極楽浄土(ごくらくじょうど)を求めるなど、どちらかというと個人的色彩が強いのに対し、

普門品読誦供養塔は、村落共同体の安泰を願って造立されています。

大般若経(だいはんにゃきょう)読誦供養塔

大般若経読誦供養塔とは、大般若経600巻を読誦した記念に造立した供養塔です。

光明真言(こうみょうしんごん)読誦供養塔

光明真言は23(休止符を入れると24)の梵字(ぼんじ)からなり、「オン、アボキャ、ベイロシャナウ、マカボダラ、マニ、ハムドマ、ジンバラ、ハラバリタヤ、ウム」と読みます。
これには、「大日(だいにち)如来よ、智慧(ちえ)と慈悲をたれてお救いください」との意が含まれ、これを読誦すると一切の罪障が除かれるとされたため、100万(べん)、200万遍と唱えた記念に供養塔が造立されました。

写経(しゃきょう)供養塔

写経供養塔とは、法華経(ほけきょう)大般若経(だいはんにゃきょう)などの経典を後世に伝えるために書き写したり、あるいは写経することを修行とし、これを果たした功徳(くどく)として造立された供養塔のことをいいます。

念仏供養塔

念仏とは、仏の功徳(くどく)や姿を心に思い浮かべ、「南無阿弥陀仏」の名号(みょうごう)を口で唱えることをいいます。
我が国では、平安時代中期以降、仏教上の歴史観である末法(まっぽう)思想が、打ち続く戦乱や災害の続発から来る社会不安により徐々に浸透すると、南無阿弥陀仏を唱えさえすればだれでも極楽往生できるという教えが急速に広まりました。
そしてこの信仰は、やがて多くの庶民の支持を得るようになり、江戸時代になると各地に念仏講が結成され、百万遍(ひゃくまんべん)念仏供養塔・六斎(ろくさい)念仏供養塔・(かん)念仏供養塔などが造立されるようになりました。

念仏供養塔の主尊

市内には、56基にのぼる念仏供養塔の存在が確認されています。

このうち像容を刻むものは52基ですが、これを主尊別に分類すると、47基が地蔵菩薩(じぞうぼさつ)であり、残りは(しょう)観音・阿弥陀(あみだ)如来・馬頭(ばとう)観音が各1基となります。

造立年代

市内で最初に念仏供養塔が建てられたのは寛文(かんぶん)13(1673)で、下奥富の広福寺墓地にありましたが、今は失われてしまいました。造立が急増するのは享保(きょうほう)から元文(げんぶん)年間(1716~1741)にかけてで、なかでも享保4年(1719)には9基が造立されています。この傾向は入間市・飯能市でもみられるので、この年に何があったのか興味を引かれますが、現在のところ不明です。

その後は、寛延(かんえん)年間(1748~51)と宝暦(ほうれき)年間(1751~64)に各3基、天明(てんめい)年間(1781~89)と天保(てんぽう)年間(1830~44)に各4基が建てられますが、幕末の安政(あんせい)7年(1860)を最後に、以後はまったくみられなくなります。

造立者と造立の趣旨

念仏供養塔を造立者別に分類すると、次のようになります。

  1. 「念仏講」「講中」「結衆」などの集団名を刻んだもの
    23基
  2. 「村中」「惣村中」など、村落共同体を刻んだもの
    12基
  3. 「同行何人」または単に人数名などを連記したもの
    5基
  4. 六斎日(ろくさいにち)」「斎日(さいにち)」の文字を刻んだもの
    9基
  5. 個人名を刻んだもの
    4基
  6. 「念仏講中」と「村中」を併記したもの
    1基
  7. 「斎日講中」と「惣村中」を併記したもの
    1基

こうしてみると、念仏信仰は個人的なものではなく、その信仰を中軸として結成された念仏講が主体であったことがわかります。
次に、造立の趣旨をみると、造立初期は「二世安楽」「西方往生」を刻むものが多く、後期になると主尊のほとんどが地蔵であったためか、仏説延命地蔵菩薩経の()を刻むものが多くなります。
以上のことから念仏供養塔の造立は、この世とあの世の二世にわたり、すべての災厄(さいやく)を除いて安穏な村を作りあげたいとの願いから生まれたものといえます。

このページに関するお問い合わせは
生涯学習部 社会教育課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2953-1111

FAX:04-2954-8671

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