巡拝供養塔

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更新日:2011年3月1日

聖地を巡拝することは、世界的にみられます。「日本紀略(にほんきりゃく)」には、円融院法皇(えんゆういんほうおう)が諸寺を巡拝したことを載せているので、我が国では平安時代から行なわれていたことがわかります。また、法華経(ほけきょう)を保存する目的で、全国66か所の霊場(れいじょう)納経(のうきょう)して回ることも鎌倉時代初期には行なわれていました。
こうしたなか、観音(かんのん)霊場を巡拝して回る信仰は、江戸時代になって交通網が整備されると庶民の間にも広まりました。
巡拝供養塔とは、こうした霊場を巡拝した記念に建てられたものをいいます。

回国(かいこく)供養塔

回国供養塔回国供養塔

回国供養とは、釈迦如来(しゃかにょらい)が亡くなってから56億7000万年後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)が現れて私たち衆生(しゅじょう)を救ってくれるそのときまで、法華経(ほけきょう)大乗妙典(だいじょうみょうてん))を保存する目的で、我が国の66か所の霊場に納経して回ることをいいます。
市内には13基の回国供養塔が残されていますが、これらをみると、そのほとんどが18世紀に造立されています。

観音霊場(かんのんれいじょう)巡拝供養塔

観音霊場巡拝供養塔観音霊場巡拝供養塔

観音霊場とは、西国(さいごく)三十三か所・坂東(ばんどう)三十三か所・秩父(ちちぶ)三十四か所のことで、江戸時代になるとこれら霊場を巡拝することが盛んになりました。巡拝は巡礼や遍路(へんろ)とも呼ばれ、白装束に白足袋をはき、金剛(こんごう)杖をつき、数珠(じゅず)(かね)を手にご詠歌(えいか)を詠じて巡り歩くことで、巡拝供養塔はその記念に造立されたものです。
市内には18基の供養塔がありますが、その造立は寛政(かんせい)年間(1789~1801)以降から増えるので、このころから経済的余裕のある農民層の間で、巡拝の風潮が広まっていったと考えられます。

このページに関するお問い合わせは
生涯学習部 社会教育課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2953-1111

FAX:04-2954-8671

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