城山砦跡遠景
城山砦跡平面図
城山砦跡は、江戸時代後期の書物『新編武蔵風土記稿』によると、天文年間に山内上杉憲政が、後北条氏に奪われた川越城を奪還すべく包囲した際にここに陣を敷いたとされており、江戸時代後期には「上杉砦」と呼ばれていたことがわかっています。また、同期には既に四段程の遺構しか残っていない、と書かれています。
現存する面積は約5,400平方メートルで、入間台地のやや突き出した河岸段丘上、東から本郭、二ノ郭と造られています。本郭は崖面以外を高さ約3メートルの土塁に囲われ、その外側には約幅3メートルの空堀が残っています。また、その更に外側に、高さ1メートルの土塁状の高みを見ることができます。二ノ郭は、土塁であったと考えられる高みが一部残っており、現在はその上に稲荷社が祀られています。また、西側に深さ約1メートルの空堀も残っており、狭いながらも郭を構成していたことがわかります。
平成10年度に本郭周囲のほ場整備発掘調査が行われ、もっとも外側の土塁状の高みの外に、更に深さ4メートル程の堀が検出されました。堀の底や壁には、堀を掘ったときについたついたと思われる鍬の跡も残っていたため、砦は造られて間もなく放棄されたとも考えられるようになりました。検出された堀は保存するため埋め戻され、現在は道路になっています。平成18年度に、学術調査が行われた本廓の内側空堀での調査では、現況よりさらに2メートル深く掘られている形跡が確認されたほか、深い堀が崩れないように押さえるための版築構造も検出されました。さらに平成22年度の小口の確認調査では、中世のカワラケ(小皿)の小破片が出土しました。
- 所在地:狭山市柏原2346番地ほか
- 埼玉県選定重要遺跡
- 狭山市指定文化財〔記念物・史跡〕
- 指定日:昭和48年(1973)3月1日
場所
所在地
狭山市柏原2346番地の2他
指定文化財説明版の題字について
市では、市指定文化財の説明版の修繕に際し、看板自体に魅力や訪れる目的を付加し、文化財への関心と愛護意識を高めるきっかけなる形で修繕したいと考えており、そのための第一歩として、地元の小学校の校内書初展入賞者(6年生対象)の児童の皆さんに説明板の題字を書いてもらいました。
令和4年度に修繕する城山砦跡の説明版の題字は、秦希果さんの作品です。素敵な題字をありがとうございます。
関連項目
民話・伝承
このページに関するお問い合わせは
生涯学習部 社会教育課
狭山市入間川1丁目23番5号
電話:04-2946-8594
FAX:04-2954-8671
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