江戸時代の入間川は、ふだんは水量は多くありませんが、いったん豪雨に見舞われると激流となって下ったため、各地で堤防が決壊して氾濫しました。広瀬村境界絵図面は、こうした氾濫によって隣村との境界が不明になった際、これをはっきりさせるために作成したもので、元禄3年(1690)と弘化4年(1847)の計2枚があります。
元禄3年の絵図面は、縦395センチメートル、横331センチメートルという大きさで、広瀬村と入間川村が描かれています。村境を流れる入間川は、現在とは大幅に違って本流が二つに分かれています。上広瀬に字中島という地区がありますが、これは二つの流れに挟まれたところから生まれた地名であることが、この絵図面からわかります。村内を通る道路と家並みもていねいに記され、水田は赤、畑は黄色で塗られています。また、村名の記載を見ると「広瀬村」と「入間村」になっており、江戸時代前期まではこのように呼ばれていたこともわかります。
それから150年程を経て作成された弘化4年の絵図面は、縦108センチメートル、横232センチメートルの大きさで、入間川の流れを中心に村境が墨で書き込まれています。ところどころに証文塚が記載されていますが、これは境界までの測量の基準点で、図面中には距離が具体的に記されています。
分見野帳は、この絵図面作成の際の測量結果を、両村の村役人が立ち会って記入した帳面です。
- 狭山市指定文化財〔有形文化財・古文書〕
- 指定日:昭和51年(1976)4月1日
- 所在地:狭山市広瀬・個人蔵
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狭山市入間川1丁目23番5号
電話:04-2946-8594
FAX:04-2954-8671
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