広瀬村境界絵図面及び分見野帳

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更新日:2018年6月13日

広瀬村境界絵図面及び分見野帳

江戸時代の入間川は、ふだんは水量は多くありませんが、いったん豪雨に見舞われると激流となって下ったため、各地で堤防が決壊して氾濫(はんらん)しました。広瀬村境界絵図面(ひろせむらきょうかいえずめん)は、こうした氾濫によって隣村との境界が不明になった際、これをはっきりさせるために作成したもので、元禄3年(1690)と弘化4年(1847)の計2枚があります。
元禄3年の絵図面は、縦395センチメートル、横331センチメートルという大きさで、広瀬村と入間川村が描かれています。村境を流れる入間川は、現在とは大幅に違って本流が二つに分かれています。上広瀬に字中島という地区がありますが、これは二つの流れに(はさ)まれたところから生まれた地名であることが、この絵図面からわかります。村内を通る道路と家並みもていねいに記され、水田は赤、畑は黄色で塗られています。また、村名の記載を見ると「広瀬村」と「入間村」になっており、江戸時代前期まではこのように呼ばれていたこともわかります。
それから150年程を経て作成された弘化4年の絵図面は、縦108センチメートル、横232センチメートルの大きさで、入間川の流れを中心に村境が墨で書き込まれています。ところどころに証文塚(しょうもんづか)が記載されていますが、これは境界までの測量の基準点で、図面中には距離が具体的に記されています。
分見野帳は、この絵図面作成の際の測量結果を、両村の村役人が立ち会って記入した帳面です。

  • 狭山市指定文化財〔有形文化財・古文書〕
  • 指定日:昭和51年(1976)4月1日
  • 所在地:狭山市広瀬・個人蔵

このページに関するお問い合わせは
生涯学習部 社会教育課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2946-8594

FAX:04-2954-8671

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