この囃子は、江戸神田囃子の流れをくむ神田徳丸の流技を持ち、江戸時代に入曽村の入曽囃子から伝わったと言われています。
明治から大正にかけては川越祭で久保町の山車に乗って囃子を奉納し、また、明治3年には西方囃子の山車を建造し、戦前戦後を通じて入間川の天満宮、不動尊の祭りに山車とともに参加し、隣村の青柳、加佐志の地蔵様、入間郡越生の祭りなどにも参加し、現在も保管されています。
このように盛大に活躍していた西方囃子も、昭和26年ごろには後継者が不足し、活動が絶えていましたが、昭和51年に西方囃子保存会が結成され、25年ぶりに復活しました。
曲目は、仁羽、聖天、四丁目など21曲あり、囃子の構成は、小太鼓2、大太鼓1、鉦、笛、舞から成っています。
現在は、八雲神社(元旦祭・7月天王様)、梅宮神社(2月甘酒祭)、奥冨神社(4月大祭)、西方薬師堂(8月西方薬師さま)などに奉納しています。
- 狭山市指定文化財〔無形民俗文化財〕
- 指定日:平成15(2003)年11月4日
- 伝承地:狭山市奥富地区
関連項目
社寺
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