堀兼神社が建つ地は、古の井戸「ほりかね井」の所在地の一つと伝えられていましたが、江戸時代にはその井戸はほとんど埋まっており、水も湧いていない状態でした。これを知った川越町奉行の長谷川源右衛門は、慶安3年(1650)に新田として開発された堀金(兼)村の誕生に合わせ、井戸を掘り返して再び水が湧くようにし、さらに自ら願主となって浅間宮を建立しました。
それから28年後の延宝6年(1678)、損傷が進んだ浅間宮は川越城内三芳山廣福寺の僧・憲海と地元の人々により、新たに造り直されました。その時に本殿に収められたのが現在の厨子で、再興時の棟札に記されていた「延寶六年」の墨書からその事実が判明しました。
本殿厨子は木造、黒漆塗りで仕上げられており、高さ186.8センチメートル、奥行き109.5センチメートル、肩幅116.8センチメートル、一間社入母屋造り、唐破風の向拝が付いています。屋根は一面一枚の板で造られているものの、丸瓦を模した彫刻等で瓦葺屋根風に見せるほか、平行垂木様の意匠も備えています。左右の扉と隅柱の間には、向かって右に昇り龍、左に降り龍、唐破風の梁の上部には鳳凰が彫られています。また、木鼻には正面に獅子、側面手前に獏、奥に象の精巧な彫刻があります。これらの彫刻は全面が金箔押で、部分的に残る顔料から見て、建立当時は鮮やかな色調であったと考えられます。
- 狭山市指定文化財〔有形文化財・工芸品〕
- 指定日:平成29年(2017年)2月1日
場所
堀兼神社
狭山市堀兼2220番地
関連項目
社寺
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