堀兼之井は、堀兼神社の境内にあります。直径7.2メートル、深さ1.9メートルの井戸の中央には石組の井桁がありますが、現在は大部分が埋まっており、その姿がかつてどのようであったかは不明です。この井戸は北入曽にある七曲井と同様に、いわゆる「ほりかねの井」の一つと考えられていますが、これを事実とすると、掘られた年代は平安時代までさかのぼることができます。
井戸のかたわらに2基の石碑がありますが、左奥にあるのは宝永5年(1708)3月に川越藩主の秋元喬知が、家臣の岩田彦助に命じて建てさせたものです。そこには、長らく不明であった「ほりかねの井」の所在をこの凹形の地としたこと、堀兼は掘り難かったという意味であることなどが刻まれています。しかし、その最後の部分を見ると、これらは俗耳にしたがったまでで、確信に基づくものではないともあります。手前にある石碑は、天保13年(1842)に堀金(兼)村名主の宮沢氏が建てたもので、清原宣明の漢詩が刻まれています。
それでは、都の貴人や高僧に詠まれた「ほりかねの井」は、ここにある井戸を指すのでしょうか。神社の前を通る道が鎌倉街道の枝道であったことを考えると、旅人の便を図るために掘られたと思われますが、このことはすでに江戸時代から盛んに議論が交わされていたようで、江戸後期に編さんされた『新編武蔵風土記稿』を見ても「ほりかねの井」と称する井戸跡は各地に残っており、どれを実跡とするかは定めがたいとあります。堀兼之井が後世の文人にもてはやされるようになったのは、秋元喬知が宝永5年に石碑を建ててから以後のことと考えられます。
- 埼玉県指定文化財〔有形文化財・旧跡〕
- 指定日:昭和36年(1961)年9月1日
場所
所在地
狭山市大字堀兼2220番地
堀兼神社
関連項目
社寺
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