篠井家は、代々の当主が笹井観音堂の堂主を勤めた家です。笹井観音堂は
篠井家は多数の
- 享禄5年(1532)5月
朔日 乗々院大僧正奉書
笹井観音堂が、杣保内 (東京都青梅市を中心とする一帯)と高麗郡の山伏を統率する年行事職 関係の書類を争乱により紛失した旨の届け出をしたところ、今後も引き続き支配するようにとの内容が記されています。このことから、笹井観音堂はかなり以前から年行事職の地位にあったことがわかります。 - 天正7年(1579)8月27日 聖護院
御教書
杣保内と高麗郡の年行事職に加え、入間郡三ケ島郷(所沢市)の山伏と山口郷(所沢市)の宝智坊 を配下とすることを聖護院が認めるという内容で、笹井観音堂の支配が広がったことがわかります。 - 天正8年(1580)6月7日
北条氏照判物
北条氏照が、笹井観音堂による前掲(2)の支配を保障するという内容で、後北条氏が笹井観音堂を積極的に保護していたことがわかります。 - 天正16年(1588)正月8日 北条氏照判物
北条氏照が、笹井観音堂が支配する山伏に対し、相模 国(神奈川県)小田原への参陣を命じたものです。険しい山岳で修行を積んだ山伏は肉体的・精神的に優れた資質を持っており、北条氏が彼らの持つ能力に強い期待をかけていたことがわかります。
- 埼玉県指定文化財〔有形文化財・古文書〕
- 指定日:昭和34年(1959)3月20日
- 所在地:狭山市笹井 個人蔵
関連項目
社寺
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