清水濱臣の墓

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更新日:2018年3月2日

清水濱臣の墓

清水濱臣の墓は狭山市狭山にあります。安永5年(1776)に江戸で生まれた濱臣は、医師として上野の不忍池(しのばずのいけ)近くに住んでいましたが、その一方で村田春海(むらたはるみ)に師事して国学を学び、古典の校合(こうごう)に励みました。著書には『万葉集考註(まんようしゅうこうちゅう)』『伊勢物語添註(いせものがたりてんちゅう)』などかあり、その数は130冊にのぼるといわれています。
江戸で生まれた濱臣の墓が市内にあるのは、彼の父親の道円(どうえん)が江戸移住前に当地で医師をしていたためです。墓石の正面には「釈道融信士(しゃくどうゆうしんじ)文政七甲申年(1824)閏八月十七日」などと刻まれ、左側面には「俗名清水玄長(げんちょう)藤原濱臣」とあります。
ところで、濱臣の墓があるところは、かつて安穏寺(あんのんじ)があった場所です。同寺は明治初年の排仏毀釈(はいぶつきしゃく)(仏教の抑圧・排除運動)により廃寺となった寺院で、沢にある天岑寺の隠居寺として海峯碧州(かいほうへきしゅう)により創建されたといわれています。碧州は元文4年(1739)に亡くなっていますので、その創建は江戸中期であることがわかりますが、当寺の境内地は田中村(入間川村の枝村)を支配していた旗本の小笠原家が、かつて陣屋を構えた場所といわれています。本尊は釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)ですが、今は天岑寺に安置してあります。

  • 狭山市指定文化財〔記念物・史跡〕
  • 指定日:昭和48年(1973)3月1日

場所

所在地
狭山市狭山531番地

関連項目

社寺

このページに関するお問い合わせは
生涯学習部 社会教育課

狭山市入間川1丁目23番5号

電話:04-2946-8594

FAX:04-2954-8671

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