北入曽にある七曲井は、すり鉢の形をした古代の井戸で、武蔵野の歌枕として名高い「ほりかねの井」の一つといわれています。
この井戸は昭和45年(1970)に発掘調査が実施され、すり鉢部の上部直径が18~26メートル、底部直径が5メートル、深さが11.5メートルで、井筒部はほぼ中央にあり、松材で組んだ
発掘調査による考古学的見地から解明された七曲井については以上のとおりです。しかしながら、この井戸が掘られた時期が全く不明かというと、そうでもありません。それを解明する手がかりは、井戸の所在地が「北入曽字堀難井」にあることです。「堀難井」は、現在は「ほりがたい」と呼ばれていますが、地元では古くから「ほりかねのい」と称していました。文法的にみても『難』は自動詞下二段活用の語「
「ほりかねの井」が我が国の文献に現れるのは、平安時代前期の女流歌人である伊勢により、「いかでかと思ふ心は堀かねの井よりも猶ぞ深さまされる」の1首が詠まれてから以後で、清少納言が著した『枕草子』にも、「井は堀兼の井。走井は逢坂なるがをかしき。山の井。さしも浅きためしになりはじめけん。」とあり、天下の第1位に「ほりかねの井」を挙げています。伊勢の生没年は不明ですが、活躍した年代が
また、延長5年(927)に完成した『
- 埼玉県指定文化財〔記念物・史跡〕
- 指定日:昭和24年(1949)2月22日
場所
所在地
狭山市大字北入曽1366番地
常泉寺観音堂
関連項目
社寺
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