清水八幡宮は、清水冠者義高を祭神とする神社です。
清水冠者義高は源義仲(木曽義仲)の嫡男で、源頼朝の娘である大姫の婿になった人物ですが、父義仲が頼朝と対立し討たれたことにより、息子である義高も謀殺の危機にさらされ、鎌倉から逃亡しました。しかし、入間川の八丁の渡し付近で頼朝の追っ手である藤内光澄に追いつかれ首をはねられ殺害されてしまいました。
殺害された際に首は頼朝のもとへ運ばれましたが、体はその場に残されたため、入間川の里人が体を当地に埋葬し祀ったといわれています。
義高の墓が清水八幡宮と称されるようになったのは、八幡神社所蔵の『八幡神社縁起』によると、義高の死を哀れんだ北条政子が壮麗な清水八幡宮の社殿を造営し、自ら参拝し義高の霊を慰め、かつ神田を寄附されたと記されています。しかし、その建てられた社殿は応永9年(1402)に起こった入間川の洪水ですべてが押し流されてしまい、その後は成円寺(江戸時代まで旧中央公民館の場所にあった寺院)に移されたとも記されています。
その後、同社が現在地に移ったのは明治初期に成円寺が廃寺になってから以後で、今の本殿は昭和34年(1959)に再建されたものです。本殿の中には永享2年(1430)の石祠が安置されていますが、これは江戸末期に近くを流れる赤間川から掘り出されたもので、そこには義高が入間川で殺害されたことなどが刻まれています。
祭神:清水冠者義高
- 狭山市指定文化財〔記念物・史跡〕
- 指定日:昭和52年(1977)9月1日
場所
関連項目
指定文化財
歳時記
民話・伝承
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