笹井観音堂は「狭山のわらべ唄」でも有名ですが、昔は梅の坊ともいって、本山は京都聖護院末28院の1つで所沢・三ヶ島・山口・宮寺など高麗郡一帯の年行事職を勤めたという格式のある古い御堂なのです。
ですから、この観音堂の前を通るものは、馬に乗っているものは馬から降り、カゴに乗っているものはカゴから降り、それ相当のあいさつをしないと通れなかったそうです。
となりの飯能の中山のお殿さま(戦国時代より江戸時代にいたるまで数々の武勲を挙げたり水戸光圀公=黄門様=ともゆかりがある名家です 。)でも観音堂の前を通るときは、あいさつの礼をつくさねばなりませんでした。
ある時、中山のお殿さまへ江戸より急な呼び出しがあり、いそぎでかけることになりました。ところが観音堂のまえでのあいさつが列をつくってなかなか通れません。そして江戸へ着くのがおそくなって大失敗をしてしまったそうです。
そこで、いろいろ知恵をだしあった末、いつでもかんたんに通れるようにと、観音堂のうら手に六尺街道(1.8メートル)をつくりました。この道が今も呼ばれる「殿さま街道」なのです。
(広報さやま平成8年12月10日号より)
場所
所在地
狭山市笹井3丁目
笹井観音堂
関連項目
仏閣
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