むかしむかし、まだ堀兼のあたりの開拓が、始まりだした頃のお話です。その頃の堀兼は、人家も少しずつ増えてきて、小さな村ができ始めていました。
そんなある日のこと、そのころ『小江戸』といわれていた川越から一人のお坊さんが、堀兼にやってきて、小さなお堂をつくりました。それは、このあたりで、初めてできたお寺でしたので、大勢の人たちが集まり、たいそうにぎわったそうです。
しかし、時が経つにつれて、お坊さんの気がゆるんだのか、だんだんいばりだしてきて、とうとうお坊さんにあるまじき事をするようになってしまいました。
そして、いつの間にか土地の人たちとのもめごとが絶えないようになり、やがてお坊さんは、土地を追われるようになってしまいました。その時、お坊さんは川越から持ってきた石のお地蔵さまをせおって帰ることにしました。ところが、いざせおって歩きだすと、お地蔵さまがあまりに重くて、とうとうお地蔵さまを途中の道ばたにほっぽり投げてしまいました。
そのときのお地蔵さまは、今も『かみや』という所の道ばたに立っているそうです。
※現在は、所沢市神米金の八雲神社の参道にあるそうです。
(狭山の絵本より)
- 伝承地 狭山市大字堀兼2221番地 「堀兼神社」
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