当社の勧請の時代は極めて古く、御神体に刻まれた神文の風化の度合や今はない旧社殿の構造から、創建はかなり古いと推測されますが、確かな記録はありません。
古老の語り伝えによりますと、当所一帯の高台日本武尊東征の際の野立跡、大野隼人東征軍陣跡、新田義貞滞陣の地とのことで、当所を旧名「多てい(氏の下に一)野」「太伊」「将軍塚」「将軍台」と称したのはそのような因由によるものと思われます。
延享年間(1744-1748)、加藤清正公の末裔、加藤太郎左衛門が来住の折、当社に三方荒神又は三宝荒神として郷党とともに奉祀したと伝えられ、およそ220年前から地方の養蚕家の間に、養蚕守護の神として信仰されていました。
明治24年頃から例祭日を5月1日と定め、その年の蚕の豊作を願う近隣の養蚕家が多数参詣し、当時は相当の賑わいを見せたそうです。
- 祭神:天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神
場所
所在地
狭山市祇園13番付近
三柱神社(荒神さま)
関連項目
歳時記
民話・伝承
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