八十八夜もすぎるころともなりますと、市内のお茶畑では新茶の茶つみ風景が見られるようになります。
昔は、お茶づくりのすべてが手仕事でしたので、五月になるとたくさんの茶つみ娘やほいろし(和紙ではったほいろの上で手もみでお茶を伝る職人のこと)がやってきました。
「宇治の新茶と狭山の二茶が出あいましたよ横浜で」と茶つみうたをうたってはたらいたそうです。
狭山茶の歴史は古く栄西禅師が中国より種子を持ち帰ったといわれ、河越茶(現在の狭山茶)が武蔵国の銘茶として名をはせたといわれています。
題字・絵・文/池原昭治氏
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